
うちの子どもたち(大学・高校・中学3きょうだい)は、本を読むのが義務になるとちょっと面倒くさそうな顔をします。「朝の読書タイムで読む本、なんかない?」と聞かれると、こちらは待ってましたとばかりにおすすめ本を何冊も並べてしまい、「そんなに要らんし」と笑われるのが、我が家の小さな恒例行事です。
面白いもので、3人とも勧めたい本は違っていて、長女はリアルタイムに自分と近い設定のものを好みます。高校生息子は、ちょっとイヤミス寄りの癖のあるもの、中学生娘はメディア化されたりしたちょっと有名なものが好きです。
ちなみに、子ども達がそれぞれ中学生の頃、朝の読書タイムに勧めてピッタリだったものは以下の3冊。
長女には「あと少し、もう少し」/瀬尾まいこ著
息子には「夏の花火と私の死体」/乙一著
次女には「12人の死にたい子どもたち」/冲方丁著
他にも友人にオススメ本を聞かれたりしたら、超張り切ってしまう私です…。
「読む」は体験になる
本を読むことは、ただ言葉を追うことではなく、作者の世界を旅すること。ファンタジーからノンフィクション、ハウツー本やミステリー。ジャンルもさまざまで、活字ってまさに自由な大海原です。その活字たちが描き出す景色に思いをはせ、ページをめくるたびに誰かの人生を疑似体験できる。勉強が全く出来なかった私自身、小さい頃からたくさんの本に出会ってきたことで、「自分ってこういう考え方をするんだ」と気づけたり、「あの時こんなに腹が立ったのは、実はこんなことが気になっていたのかも…」とハッとしたり、体験できない誰かの胸の痛みや、世界の広さ、人の多様性を知ることができました。
どうにかこうにか社会人としてやっていけるのも、本が先生になってくれたからだと思っています。
子どもたちに届けたい世界
学校や家庭での課題として「読むこと」を義務化してしまうと、どうしても楽しさが薄れてしまいがち。でも、本当は、物語の中にはどんな遊園地よりもスリリングで、どんな授業よりも深い学びが詰まっているんですよね。
SNSなどが発達してメディアからの情報が目まぐるしい今だからこそ、子どもたちに「読むことってすごいよ」と伝えたい。学校に行くのがつらい日、SNSで誰かのリアルばっかり充実して見える日、ひとりでなんだか落ち込んで浮上できないとき、本の中の誰かがそっと寄り添ってくれることもあるのだから。
作者の背中を思いながら
私の好きなNHKの番組「漫勉」では、漫画家の方々が線の一本一本にどれほどの時間と情熱を注いでいるかが紹介されていました。それを見るたび、表現者に対する尊敬の念が深まります。どんな物語も誰かの脳みその中にちょこんと出てきた芽がスタートですからね。それをどうやったら伝わるか、自分の中のイメージを形にしていく作業ってすごいと思います。
本もコミックも、世に出るまでには、書く人、編集する人、印刷する人…たくさんの人の手間と愛が詰まっています。本を手に取るとき、そんな「見えない背中」にも思いをはせていたいと思います。
次回は「電子図書館・電子書籍」の話へ
便利さと可能性が広がる一方で、なかなか進まない「電子化」への課題もあります。次回は、名古屋市の電子図書館を利用して感じたことや、著者・読者・図書館にとっての電子化のメリットと悩みについて書いてみようと思います。
どうぞ、またお付き合いくださいね。